経過報告(2001年8月以前)

1986. 2.27 NHKTV「首都圏スペシャル:晴れときどき富士見坂」放映
1994. 2. 4 NHKTV「街角なぜなぜ探検」放映
1996年度 「日暮里の富士見坂」が 東京都都市景観コンテスト特別賞を受賞
1999. 2.28 荒川区まちづくり公社発行の「夢・街・人」13号に「富士見坂眺望研究会」 の活動紹介「守りたい、富士山の見えるまち。」掲載
1999. 3.12 東京ケーブルネットワーク「街の素顔:西日暮里富士見坂」放映
1999. 8.17 読売新聞「「日暮らしの里」の絶景」掲載
1999.10. 8 西日暮里3・4・5丁目、日暮里中央町会の各町会長名で「日暮里の富士見坂からの眺望を守ることを東京都及び関係機関に働きかける陳情書」を荒川区議会あて提出
1999.10.10 西日暮里会「わが街 わが心 富士見坂」地域フォーラムを開催する
1999.10.19 読売新聞「「富士見坂」残したい」掲載
1999.11.19 読売新聞「日暮里富士見坂未来へ残したい」掲載
1999.11.20〜23 「富士見坂眺望研究会」により「富士見坂眺望イベント」開催 (荒川区後援)
1999.11.20 眺望ライン上に分譲マンション建設工事が始まっているのを知る。 (日本鋼管不動産株式会社 地上13階 高さ38.43メートル)
1999.11.22 NHKTV「首都圏ネットワーク:富士見坂の眺望を守る」放映
1999.11.29 「富士見坂眺望研究会」と地元住民が日本鋼管不動産株式会社を訪れ、資料提出の上、口頭で計画変更を申し入れる
1999.12. 3 富士見坂保全の話し合い(地元住民と「富士見坂眺望研究会」会員)
1999.12.10 日本鋼管不動産株式会社より、口頭で、 11.29の申し入れについては受け入れられないとの回答
1999.12 地域雑誌の谷根千60号に「谷根千オンブズマン「日暮里富士見坂の 眺望が危ない」」掲載
1999.12.21 「富士見坂眺望研究会」会員と文京区住民の個人名で, 「日暮里富士見坂からの富士山眺望を将来にわたり配慮してほしい」 趣旨の要望書を煙山力文京区長宛に提出
1999.12.27 富士見坂眺望保全の話し合い 「日暮里富士見坂を守る会」を立ち上げる
1999.12.31 文化放送ラジオ「小西葛哉のなんだ なんだ!」で放送
2000. 1.14 荒川区議会で陳情書が採択されずに、継続審議となる
「守る会」が日本鋼管不動産株式会社に「富士見坂眺望保全のための要望書」を手渡す
(*この時点では、まだ正確なシミュレーションを行っていなくて、13階建を10階建に変更することを要望した。 その後2月13日の要望書において、シミュレーション結果を踏まえて、9階建への変更を要望することに修正した。)
「守る会」が、第1回会合を開く
2000. 1.15 毎日新聞「富士見坂の"富士見"半減」掲載
読売新聞「「富士山の眺望」ピンチ」掲載
2000. 1.21 第1回日本鋼管不動産株式会社との話し合い
2000. 1.23 「守る会」が、第2回会合を開く
(* 鋼管との話し合い報告 *イベントの打ち合わせ)
2000. 1.25 イベントの案内を荒川区議、文京区議全員および主な新聞・TV局に送付
2000. 1.26 毎日新聞「富士見坂の富士山眺望を守ろう」掲載
「守る会」「富士見坂眺望研究会」のホームページ「日暮里富士見坂眺望の危機」を開設
(URL http://www1.ttcn.ne.jp/~fujimizaka-hozen/)
2000. 1.27 東京新聞「「富士見坂」を守れ」掲載
TV東京「ニュースアイ:ピンチ!最後の富士見坂」放映
2000. 1.28 第1日暮里小学校でシンポジウムを開催する (フロアから多数の発言があった)
朝日ニュースターTV「荒川区富士見坂」放映
読売新聞「富士の眺め守るイベント」掲載
2000. 1.28〜31 「日暮里富士見坂眺望の危機」展を開催する
2000. 1.29 建設現場裏よりマンションの高さにアドバルーンを上げる
眺望の通り道の範囲内にお知らせのチラシを各戸配布(2000枚)
ヴィスタ・ウォーキング
日本鋼管不動産株式会社宛にシンポジウムの様子、提案などの文章を送付
2000. 1.30 建設現場裏よりマンションの高さにアドバルーンを上げる
東京新聞1面に、「「沈む」都内最後の富士見坂」掲載
読売新聞「鮮やか 夕日と富士」掲載
2000. 1.31 フジTV「2時のほんと」で「富士山が見えるから「富士見坂」」放映
フジTV「スーパーニュース」で「眺望大ピンチ「最後の富士見坂」騒動」放映
NHKTV「首都圏ネットワーク:守ろう富士見坂」放映
2000. 2. 3 TBSラジオ「森本毅郎スタンバイ」で放送
2000. 2. 4 第2回日本鋼管不動産株式会社との話し合い
*イベント期間中の署名1044名分を日本鋼管不動産に手渡す
*日本鋼管不動産株式会社の損失額の提示 △3億2300万円
内訳13階建を10階建にした場合の販売面積分価格 △3億400万円
工事中断・設計変更分価格△3300万円
建設工事の減額分見込み 1400万円
1坪300万円で販売を想定(販売総床面積400坪)、総事業費12億円のプロジェクト、 総工費は4億円

「守る会」が、第3回会合を開く

2000. 2. 6 赤旗日曜版「富士見坂守れ、マンション建設"待った"」掲載
2000. 2. 7 MX-TV東京ニュース21「富士山はもう見えなくなる?」放映
2000. 2. 8 煙山文京区長(秘書)に、情況、経過説明の資料を手渡す
2000. 2.10 「守る会」が、第4回会合を開く
2000. 2.11 富士見坂に署名箱を設置
工事現場にクレーンが入り、クレーンが富士山の稜線をこえる
2000. 2.13 日本鋼管不動産株式会社社長宛に要望書を送付
日本鋼管株式会社社長宛に要望書を、これまでの情況説明・報告書・新聞掲載記事を添付して送付
2000. 2.14 荒川区議会建設委員会において「日暮里富士見坂からの眺望を守ることを東京都及び関係機関に働きかける陳情書」 (西日暮里・日暮里4町会長提出)を全員一致で採択
2000. 2.15 文京区議会議長、文京区長宛に陳情書を提出
朝日新聞「唯一残った全景ピンチ」掲載
読売新聞「富士見坂眺望保全の陳情採択」掲載
2000. 2.16 第3回日本鋼管不動産株式会社との話し合い
* 日本鋼管不動産株式会社社長宛、日本鋼管株式会社社長宛の要望書の受け取り確認
* 10階建要望から9階建要望に変更したことに伴い損益額見積もりの変更があった 損失額の提示 △4億5000万円
*鋼管側 「損益額の支払い、あるいはビル購入以外には計画変更は考えられない」

「守る会」が、第5回会合を開く

2000. 2.18 文京区役所の要請により、日本鋼管不動産株式会社の担当者が区に事情説明
2000. 2.23 日本TV「ズームイン朝」で放映
地元住民に向けて「守る会」が活動報告会を第1日暮里小学校で開催 (フロアから熱心な質疑)
2000. 2.26 「守る会」が地元選出衆院議員を訪れ、協力を依頼
2000. 2.27 「守る会」が要望書・資料を東京都知事及び東京都宛に送付
TBS-TV「サンデーモーニング」で「最後の富士見坂ピンチ」放映
2000. 3. 1 朝日ニュースターTVの「列島365」で放映
2000. 3. 2 「守る会」が荒川区助役を訪れ、陳情書採択を踏まえて、区の支援を求める
2000. 3. 5 工事現場に2回目のクレーンが入り、鉄骨が7階まで建ち上がる
2000. 3. 6 2月27日送付の要望書等に対し、 都の要請により、「守る会」が担当部署(都市計画局地域計画部公園緑地課)に事情説明を行うとともに、協力を要請
2000. 3. 7 TBS-TV「ニュースの森 富士見坂」で放映
FMジャパン(J-WAVE)「TOKIO TODAY」で放送
2000. 3. 8 「守る会」が、第6回会合を開く
2000. 3.10 「守る会」が超党派の都議会議員3名とともに東京都副知事を訪れ、知事宛の要望書を提出するとともに、協力を要請
2000. 3.11 週間文春(3月16日号)が、「石原慎太郎都知事ならこれもできる!!」の記事中に、 森まゆみさんの提言「富士山の見える東京の復活」を掲載
2000. 3.12 Yahoo! Japanに当ホームページ掲載  (地域情報:日本の地方:関東:東京:区、市、町、村:荒川区)
2000. 3.13 「守る会」が日本鋼管本社を訪れ、改めて代表取締役宛に要望書を提出し、担当部署(総合都市開発事業部・総務部)と話し合いを行う。また、翌日に本社前でチラシ配布等によるアピールを行うことにつき、事前に申し入れをする
2000. 3.14 「守る会」が上記(3月10日)都議3名と共に、日本鋼管本社前においてチラシ配布・横断幕などにより、富士見坂の眺望を守ってくれるようアピールを行う
その後日本鋼管不動産前において横断幕によりアピールを行い、担当部署(総務人事グループ・ 資産活用営業部)と緊急に話し合う。会社上層部との話し合いの場を設けることにつ いて、早急に検討する趣旨の返事がある。
2000. 3.15 読売新聞「住民側が会社役員との話し合い要請−富士見坂眺望問題」掲載
2000. 3.17 「守る会」が、第7回会合を開く
2000. 3.18 「守る会」が日本鋼管(株)代表取締役社長宛に要請の手紙と資料を郵送する
2000. 3.19〜20 「守る会」が谷中・富士見坂・本郷通り周辺で、日本鋼管(株)に英断をお願いする旨の チラシを配布し、富士見坂の危機を訴える
2000. 3.19 サンデー毎日 (3月26日号) が4ページに渡るグラビア記事で、東京の富士見坂(15坂)の写真とともに、日暮里富士見坂の眺望の危機を報道
2000. 3.21 「守る会」が日本鋼管(株)を訪れ、再度 社長宛の要望書を提出し、担当部署と話し合いを行う
2000. 3.24 「守る会」が荒川区助役代理、都議・区議・都議代理等と共に、 日本鋼管不動産(株)の代表取締役社長、取締役本部長・資産活用営業部長と初めての話し合いを行う
*当該マンションについて、9階に下げてかつ従来の価格(12億)で買取って戴ける所があれば前向きに対処するとの日本鋼管不動産のコメントがある
*「守る会」は新たに2つの提案を行う
*日本鋼管不動産社長から、「弊社建築中マンションの最上階上棟に関する弊社見解について」が出される

朝日ニュースターTV「歩き目デス」で「富士山が欠ける」放映

2000. 3.25 「守る会」が第8回会合を開く
*3月24日の、当該マンションについて、9階に下げてかつ従来の価格(12億)で買取って戴ける所があれば前向きに対処するとのコメントを受けて、「守る会」は総力を上げて事業引継ぎ先、買取り先を探すことにする

読売新聞「マンション計画変えず−眺望危機富士見坂」と、 毎日新聞「反対住民と社長初の話し合い−富士見坂マンション建設問題」掲載

2000. 3.26 「守る会」が日本鋼管(株)の社長および役員宛に、荒川区が陳情決議を受けて東京都に提出した要望書を同封し、改めて事業の引継をお願いする手紙を郵送
The Japan Times「13-story project spells doom for Fuji view」掲載
2000. 3.29 「守る会」が、前日に申し入れの上、日本鋼管本社前で再度チラシを配布しアピールを行う
その後日本鋼管不動産との話し合いで、3月24日の「守る会」の2提案につき、口頭で共に受け入れられない旨の回答がある
「歴史的風景遺産富土見坂の眺望を守ってくださる企業・財団・行政を探しています」という文章、および対応する英文をホームページ「日暮里富士見坂眺望の危機」に掲載
2000. 3.30 海外からの買い取り企業を探すことをきっかけとして、「日暮里富士見坂眺望の危機」にEnglish Pageを追加
2000. 3.31 衆議院の本会議で、日暮里富士見坂の事態がとりあげられる
2000. 4 地域雑誌「谷中・根津・千駄木」,其の61に「富士見坂東奔西走」掲載
2000. 4. 1〜4.30 日暮里富士見坂を守る会の主催の『風景遺産を残したい』展を、JR西日暮里駅高架下 ギャラリーにて開催
2000. 4. 1 「守る会」が第9回会合を開く
2000. 4. 6 「守る会」が事前に申し入れの上、NKK本社前で改めて横断幕・チラシ配布によるアピールを行う。社長との面会を求めて担当部署(総務部)と話し合うが、子会社の日本鋼管不動産の問題であるとの従来通りの回答に留まる
その後、日本鋼管不動産の担当部署(不動産本部長・資産活用営業部長)と話し合い、富士山稜線を少しでも多く残すための建物デザインの変更に付き提案するが、拒否される

「守る会」が第10回会合を開く

2000. 4. 7 大手住宅情報会社より日本鋼管不動産に対し、当該マンションの譲渡について問い合わせがあったものの、日本鋼管不動産は「売る意思が無い」との印象を与える対応を取る
2000. 4. 9 早朝の工事開始時に「守る会」が、4月7日の日本鋼管不動産の対応に抗議
また、買取り打診企業に対する誠意ある対応と、 買取り検討が済むまでの工事の停止とを求める要請書を日本鋼管不動産の担当者に手渡す
午後マンションの鉄骨が部分的に(富士山側)13階まで組み上がる
「守る会」が第11回会合を開き、日本鋼管不動産の工事強行および不誠実な対応に対して今後とも抗議の意思を表明することで合意
2000. 4.10 「守る会」と日本鋼管不動産との話し合いが行われ、7日の件については会社として文書で説明をすること、「守る会」からは新たに要望書を提出することとなる
2000. 4.11 「守る会」が緊急臨時会合を開く
読売新聞「富士隠す鉄骨出現ーマンション業者が建設」掲載
2000. 4.12 昨日の会合に基づき、「守る会」が日本鋼管不動産に対し、企業の社会的責任を求めると共に、今後の話し合いを辞退する旨の文書をFAX送付する
これに対し、同日中に日本鋼管不動産担当者が「守る会」会長宅を直接訪れ、同文書の撤回を求める
2000. 4.14 「守る会」が事前申し入れの上、日本鋼管本社前で横断幕・チラシ配布により新たにアピール。NKKグループの社会的責任を問い掛ける
台東区長宛に要望書を提出

The Japan Times「New building obstructs last view of Mt. Fuji」掲載

NHK-BS-2の金曜特集の「21世紀に残したい日本の風景−プロローグ」 において日暮里富士見坂が紹介される

2000. 4.15 「守る会」が第12回会合を開く
2000. 4.16 マンションの鉄骨の右半分が13階まで組み上がった(4月9日)のにつづいて、左半分も10階まで組み上がる
2000. 4.17〜18 朝日ニュースターテレビのニュースジョッキーで「富士山・眺望の危機」を2夜連続放映
2000. 4.19 日本鋼管不動産より「守る会」宛に、「4月12日付貴会からの弊社宛て文書」についてという抗議の文書(4月17日付)が送付される
衆議院の建設委員会で、日暮里富士見坂の事態がとりあげられる
2000. 4.20 「守る会」が第13回の会合を開く
2000. 4.23 「守る会」が第14回の会合を開く
2000. 4.26 「守る会」がNKK社長宛に、「公開質問状」と「これまでの経緯と「日暮里富士見坂を守る会」の見解」を送付
2000. 4.27 「守る会」が荒川区議会議長を訪れ、都・区を始めとする関係機関への働きかけを要請
2000. 4.30 4月1日から開催していた、JR西日暮里駅高架下ギャラリーに於ける、 『風景遺産を残したい』展が終了
2000. 5. 1 「守る会」が第15回の会合を開く
2000. 5.10 荒川区建設委員会の委員長・副委員長等が、東京都、文京区、台東区を訪れて、それぞれ東京都知事、文京区長、台東区長宛の、荒川区議会議長名の富士見坂の眺望保全の 要望書を提出
文部大臣、建設大臣および環境庁長官宛に荒川区議会議長が同趣旨の 要望書を送付

4月26日付けで「守る会」が出した「公開質問状」に対する、日本鋼管(株)の回答書が送られてくる

「守る会」が第16回の会合を開く

2000. 5.12 「守る会」が荒川区を訪れ、荒川区長宛の公開質問状を提出
「守る会」は、5月10日の日本鋼管(株)の回答書に不明な点が多かったので、再度質問書を日本鋼管(株)に送付
2000. 5.14 鉄骨の全体が組み上がる
「守る会」が第17回の会合を開く
2000. 5.15 「守る会」が東京都知事宛に公開質問状を送付
2000. 5.16 「守る会」が5月12日に荒川区長宛に提出した公開質問状に対する 回答書が送られてくる
テレビ朝日系列の「スーパーモーニング」にて、 富士見坂の事態が放映される
2000. 5.24 「守る会」が5月15日に東京都知事宛に提出した公開質問状に対する 回答書が24日付けで送られてくる
「守る会」が第18回の会合を開く
2000. 5.29 「東京都環境保全推進委員会地域集会」に、「守る会」のメンバーが参加し、東京都に対し日暮里富士見坂の保全について要望
2000. 6. 1 「守る会」が第19回の会合を開く
2000. 6. 6 「守る会」が文京区長宛に公開質問状を送付
2000. 6.14 文京区長より、荒川区議会議長が5月10日に送付した要望書への回答書が、荒川区議会議長へ送られる
2000. 6.15 文京区長より、「守る会」が6月6日に送付した公開質問状の回答書が送られてくる
2000. 6.16 「守る会」が東京都を訪れ、これまでの署名(5,818名)と都知事宛要望書を提出し、改めて日暮里富士見坂の今後の保全に対し協力を要請する
2000. 6.23 「守る会」が、連絡先の判明した東京都景観審議会委員の方々へ、 日暮里富士見坂からの富士山の眺望をはじめとする歴史的風景遺産保全についてのお願いを郵送
2000. 6.30 かねてよりあった、富士山眺望ヴィスタライン内の東洋大学の新棟建設計画について、富士見坂眺望研究会が調査し、この建設が高さが低いので現在の眺望に影響しないことを確認する

東京都景観審議会計画部会が開かれ、日暮里富士見坂に関する議論がなされる

2000. 夏 今野久子さんの論文「地形と一体となった都市風景を考える」が 「都市計画家」vol.27 2002年夏号(NPO法人都市計画家協会発行)に掲載される
2000. 7. 6 「守る会」が第20回の会合を開く
2000. 7.16 東京新聞「心のふるさと・富士山に"景観権"を −日暮里の住民ら都に要望−」掲載
2000. 7.20 地域雑誌「谷中・根津・千駄木」,其の62に「日暮里富士見坂のその後」掲載
2000. 7.21 第15回東京都景観審議会が開かれ、今後富士見坂の件が、眺望の観点か ら取り上げられる可能性が出る
2000. 8. 7 朝日ニュースターTVの「列島365」で "富士見坂ピンチ" を放映
2000. 9.10 「まち景まち観フォーラム茅ヶ崎」(茅ヶ崎市で、富士山への眺望保全活 動を行っている市民グループのフォーラム)に「守る会」のメンバーが出席し、今回 のマンション建設問題について現時点での報告をおこなう
2000. 9.14 「守る会」が、第21回の会合を開き、短期・長期の活動方針につき検討を行う
2000. 9.21 「港区の景観を考える会」において、「守る会」のメンバーが経過報告を行う
2000. 9 荒川まちづくりフォーラム発行「あらかわだいすき」創刊号に、 「日暮里富士見坂からまた富士山見えるかな」掲載
2000. 9 みすず書房の「みすず」に森まゆみさんのエッセイ「富士山、なくなる?」掲載
2000. 9 (財)住宅生産振興財団発行の「家とまちなみ」が、山崎範子さんのエッセイ「「暮らしよい町」から失われた景観」掲載
2000.10. 6 「守る会」が、第22回の会合を開く
2000.10.11 「現場に学ぶまちづくり研究会」(世田谷区)において、「守る会」のメンバーが経過報告を行う
2000.10.19 「守る会」が第23回の会合を開く
11月11,12日に富士見坂から眺望できる富士山頂への日没に向けて、 案内のチラシ配布を始める
2000.11. 9 東京新聞に、森まゆみさんのコラム「ダイヤモンド富士」掲載
2000.11.10 東京新聞「富士山の全景、取り戻そう」掲載
2000.11.11 読売新聞「富士の夕日眺める会 日暮里の富士見坂」掲載
2000.11.11-12 山頂への日没
11,12日とも曇天のためダイヤモンド富士は見ることができなかったが、「守る会」が、坂上に集まった多くの人々に ヴィスタライン(眺望範囲)地図を配布する
2000.11.19 「守る会」が第24回の会合を開く
2000.11.20 (株)日本鋼管不動産(NKF)によるマンションが完成(竣工)する。
2000.11.28 朝日ニュースターTVの「ニュースジョッキー」で 「日暮里富士見坂、その後」を放映
2000.12. 2 朝日新聞に田代博氏のエッセイ「さらば、ガングロ富士」掲載
2000.12. 8 「守る会」が第25回の会合を開く
2000.12.16 (株)日本鋼管不動産(NKF)によるマンションが、下記の概要で販売開始される。
      名称  「メインステージ本駒込駅前」
      売主  (株)青山メインランド
      販売  (株)青山地所
      価格  1920〜2410万円
      間取り 1K 55戸13階建て 
    (*なお、NKFは2000年12月31日をもってNKKへ吸収合併されるそうです。)
2000.12.22 東京FMがBSデジタルの「MUSIC BIRD ブルーミング316ch」の「BSジャーナル」で日暮里富士見坂について放送
2000.12.29 朝日ニュースターTVの「列島365」で日暮里富士見坂について放映
2001. 1.12 「守る会」が第26回の会合を開く (「日暮里富士見坂を守る会」の会長が西日暮里五丁目町会長から西日暮里三丁目町会長に交代となる)
2001. 1.23 「守る会」が第27回の会合を開く
2001. 1.26 「守る会」と「富士見坂眺望研究会」が、 「日暮里富士見坂の眺望保全に向けてのご審議のお願い」を連絡先の判明した東京都景観審議会委員の方々へ郵送
2001. 1.31 東京新聞朝刊に「富士に沈む太陽」掲載
2001. 2 「あらかわだいすき」第2号に「景観から考えるまちづくり」掲載
2001. 2. 5-11 荒川ケーブルTVの「WEEKLY NEWS」で山頂への日没について富士見坂の様子を放映(4回/日)
2001. 2.13 NHK-TVの首都圏いきいきワイドで「富士見坂・寺町谷中の景観は今」を放映
2001. 2.21 TBSラジオ 「森本毅郎スタンバイ」 6:30〜 で富士見坂の件を放送
2001. 2.23 「守る会」が第28回の会合を開く
2001. 2.27 TBSテレビ、「ニュースの森」にて「どうなった!? あの富士見坂」放映
2001. 3.16 「守る会」が第29回の会合を開く
「守る会」と「富士見坂眺望研究会」が、文京区景観審議会委員の方々に、 「日暮里富士見坂の眺望保全に向けてのご審議のお願い」を送る
2001. 3.20-31 「守る会」がJR西日暮里駅高架下ギャラリーに於いて、「日暮里富士見坂眺望パネル展」を開く
2001. 3.21 早稲田建築2001に、千葉一輝氏の論説「片翼の富士 −都市風景の行方−」掲載
2001. 3.24 東京新聞に「富士見坂フォーラム」開催予告の記事掲載
2001. 3.25 「富士見坂フォーラム−その1−日暮里富士見坂からの眺望を残すために」( 主催:「守る会」「富士見坂眺望研究会」谷根千工房)を開く
2001. 3.27 文京区景観審議会が開かれ、日暮里富士見坂に関する議論がなされる
2001. 6. 9 「守る会」が第30回の会合を開く
2001. 7. 26 東京リビングに「谷中・根津・千駄木」編集人・山崎範子さんと歩く 夕暮れ、下町散歩」 が掲載される
2001年9月以降


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