日暮里富士見坂
眺望の危機
 富士見坂眺望研究会 
 日暮里富士見坂を守る会 
 〒116-0013 
 荒川区西日暮里3-7-6-304  
 Fax.03-3822-8646 
 E-mail.ttn7ky52fk@mx3.ttcn.ne.jp
〜唯一残された富士見坂から、
富士山が見えなくなる!!〜 HP開設2000.1.26

Please click here to go to English page.

本文と写真のバランスが悪い場合は、恐れ入りますが、 ブラウザの「表示」メニューで フォントサイズを調節してご覧下さい。

・ヴィスタラインの中では、次の新しい変化が起きています。東洋大学の新棟建設計画(「経過報告」の 2000.6.30 を参照)に伴う旧1号館の取り壊し工事が開始されており、今秋には終了予定です。その際には富士山の右側が現在よりも更に良く見えるようになることが解りました。
2000年11月18日撮影の眺望 2001年秋の眺望のシミュレーション
拡大画像はここをクリック

・文京区景観審議会(2001年3月27日開催)において、日暮里富士見坂について議論されました。議事録が公開されましたので掲載いたします。

・東京都景観審議会計画部会(2000年6月30日開催)において、日暮里富士見坂に関する議論がなされたことがわかりましたので議事録を掲載いたします。 御一読下さい。

2001年3月25日(日)、「富士見坂フォーラム−その1−日暮里富士見坂からの眺望を残すために」を開きました。お忙しい中をお出かけ頂き、ありがとうございました。  4枚の拡大写真
富士見坂フォーラム(25日、於 西日暮里諏訪台ひろば館)  撮影 石川正氏
並行して開いた「日暮里富士見坂眺望パネル展」 (20-31日、於 JR西日暮里駅高架下ギャラリー)  撮影 山崎範子さん

  富士見坂に集まった人々(29日)
撮影 石川正氏
・2001年1月29-31日の日暮里富士見坂からの富士山頂への日没には、 たくさんの方がお出で下さいました。 29,31日はあいにくの天候で富士山が見えませんでしたが、 30日には今世紀最初のダイヤモンド富士を見ることができました。

5枚の拡大写真
20枚の日没の連続写真

日没の撮影に備える人々(30日)
撮影 山崎範子さん
日没に集まった人々(30日)
撮影 山岸剛氏
日没(30日)
撮影 野呂法夫氏
日没(30日)
撮影 佐藤洋一氏

・2001年1月26日に、「守る会」と「研究会」は 「日暮里富士見坂の眺望保全に向けてのご審議のお願い」を連絡先の判明した東京都景観審議会委員の方々へ郵送 しました。
・第15回東京都景観審議会(2000年7月21日開催)の議事録が公開されました。事務局も交えて委員 の方々により、日暮里富士見坂について活発な意見交換が行われています。 御一読下さい。

・11月20日に本郷通りに建設されていたマンションが竣工しました。
・今秋は天候が悪くて富士山がなかなか見えませんでしたが、マンション工事の囲いが取れてから初めての富士山の写真を、11月18日に撮影することができました。
2000年11月18日に富士見坂から見たマンションと富士山  (中島尚史氏 撮影)


・11月11,12日の富士山頂への日没は、曇り空のため、見ることができませんでした。しかし、あいにくの天候にもかかわらず、予想を超えた大勢の方が富士見坂まで足を運んでくださいました。御礼申し上げます。  太陽は1年に2度、富士山山頂に沈みます。次回は年も明け、21世紀早々の1月30日頃になりますが、詳細は改めてお知らせいたします。これから富士山が最もよく姿をあらわす季節に入ります。坂の途中にあった電柱も移設されて、いっそう見えやすくなりました。冬の晴れた日にはどうぞ坂上までお越し下さい。
富士見坂に集まった人々(11日) 富士見坂に集まった人々(12日)

・9月14日に「守る会」は第21回会合を開き、今回のマンション建設により左側稜線が失われて以降、最初の富士山山頂への日没となる11月中旬に向け、活動の検討を行いました。近日中に、富士見坂上にある「諏訪台ひろば館」に、常設『掲示板』が設置されますのでお越しの際はぜひ御覧下さい。
・7月21日に第15回東京都景観審議会が開かれ、今後富士見坂の件が、眺望の観点か ら取り上げられる可能性が出てきました。
・6月23日に「守る会」は、東京都景観審議会委員のうち連絡先の判明した方々へ、 「日暮里富士見坂からの富士山の眺望をはじめとする歴史的風景遺産保全についてのお願い」を郵送しました。
・荒川区議会議長が5月10日に文京区長宛に提出した富士見坂の眺望保全の要望書に対して、 文京区長は6月14日付けで、可能な限り協力する旨の回答をしました。
・6月16日、「守る会」は東京都を訪れ、これまで寄せられた署名および都知事宛要望書を提出し、日暮里富士見坂の今後の保全について改めて東京都に要請しました。当ホームページや口コミによって、地元や東京はもとより、全国各地から戴いた署名は短期間にも関わらず、総数5,818名となりました。この場を借りて皆様のご支援に対し心よりお礼申し上げます。富士見坂に設置した署名台は掲示板に換え、引き続き皆様へのお知らせをいたしますので、坂にいらした際はぜひ御覧下さい。
・6月15日に、文京区長より「守る会」宛に、公開質問状の回答書が送られてきました。
・6月6日に、「守る会」が文京区長宛に公開質問状を送付しました。
・5月24日付けで、東京都知事宛に「守る会」が提出した5月15日付け公開質問状に対する 回答書が送られてきました。
・5月16日に、荒川区長宛に「守る会」が提出した5月12日付け公開質問状に対する 回答書が送られてきました。
・5月15日に、「守る会」は東京都知事宛に公開質問状を送付しました。
5月14日に、鉄骨全体が建ち上がりました。 当ページの下の方に5月14日撮影の写真を掲載しています。
・5月12日に、「守る会」が荒川区を訪れ、区長宛の公開質問状を提出しました。 また、「守る会」は、5月10日の日本鋼管(株)からの回答書に対して、再度質問書を日本鋼管(株)に送付しました。
・5月10日に、荒川区建設委員会の委員長・副委員長等が、 東京都、文京区、台東区を訪れて、それぞれ東京都知事、文京区長、台東区長宛の、荒川区議会議長名の富士見坂の眺望保全の要望書を提出しました。
また、文部大臣、建設大臣および環境庁長官宛に荒川区議会議長が同趣旨の要望書を送付しました。
同5月10日に日本鋼管(株)より、4月26日付けで「守る会」が出した「公開質問状」に対する回答書が送られてきましたが、不明な点が多いものでした。
・4月27日に、「守る会」が荒川区議会議長を訪ねて、富士見坂の眺望保全を都・区を始め関係機関へ働きかけることを要請しました。
・4月26日に、日本鋼管(株)社長宛に、「公開質問状」を送りました。 当ページの下の方に掲載しています。
・Niftyの「山の展望と地図のフォーラム」の電子会議室に全国各地から寄せられたNKK、日本鋼管不動産宛の「電子署名」の一部が、同フォーラムのホームページの中にも4月5日に公開されました。是非とも、ご一読下さい。


From Fujimizaka in the morning on April 11, 2000 (Photo by Mr. Nobuyuki Nozawa)
2000年4月11日朝に富士見坂から (野澤延行氏 撮影)

Condominium under construction
建設中のマンション
日暮里富士見坂は、現在都心に16ある富士見坂のうち、富士山の全体的な姿を眺めることができる唯一の坂として知られています。このため地元のみならず、各方面から多くの人々がここを訪れ、朝な夕な坂から望む富士の美しい姿を胸に刻み込んできました。

ところが、1999年11月、マンション建設工事により、この貴重な風景が失われようとしていることが分かりました。計画通り建設が進めば、山頂左側の稜線が殆ど隠れてしまいます。
見過ごすことができない事態のため、建築主日本鋼管不動産に対し11月末に口頭の申し入れを行い、計画について変更を求めたところ、「話の趣旨は理解できるが、既に工事は始まっており、変更すれば事業が成り立たなくなる」とのことでした。 そこで2000年1月14日、改めて日本鋼管不動産に対し要望書を提出しました。

この要望書に基づいて 1月21日 と 2月4日 と 2月16日 に、日本鋼管不動産と「守る会」との 第1回、第2回、第3回 の話し合いがなされましたが、会社側は、損益額の支払いまたはビルの買い取り以外には計画変更は有り得ないとの回答に終始しました。
また私達は、一旦工事を中断して有効な方法を共に考えて頂きたいというお願いもし続けていますが、こうした中でも工事は継続されて、2月11日にとうとう工事のクレーンが富士山の稜線を越えました。

Steel frame from Fujimizaka slope
At 18:00 on April 9, 2000
The right half built up to 13 story
2000年4月9日18:00時に富士見坂から見た鉄骨
13階まで建ち上がった右側半分


2000年3月24日に「守る会」と日本鋼管不動産社長による初めての話し合いが行なわれ、日本鋼管不動産の見解(従来通り)が文書として提出されました。
この席上、当該マンションを9階に下げてかつ従来の価格で買取って戴ける所があれば前向きに対処するとの日本鋼管不動産のコメントがあったので、「守る会」ではこの日から、事業引継ぎ先、買取り先を探す活動も始めました。
4月7日に、大手住宅情報会社より日本鋼管不動産に対し、当該マンションの譲渡について問い合わせがあったものの、日本鋼管不動産は打診企業に「売る意思が無い」との印象を与える対応を取りました。この対応を「守る会」が正したところ、3月24日における発言(買取ってくれる企業があれば前向きに検討する)とは多くの面で食違う回答となりました。
4月9日の早朝の工事開始時に「守る会」は、一昨日の日本鋼管不動産の対応に抗議すると共に、買取り打診企業に対する誠意ある対応、および買取りに関する検討が済むまで工事の停止を求める要請書を担当者に手渡しましたが、それにもかかわらずに、4月9日の午後にマンションの鉄骨が部分的に13階まで組み上がりました。

4月12日に、守る会」が日本鋼管不動産に対し、企業の社会的責任を求めると共に、今後の話し合いを辞退する旨の文書をFAX送付し、以後日本鋼管不動産(株)との話し合いは止めることにしました。 4月19日には、日本鋼管不動産より「守る会」宛に、「4月12日付貴会からの弊社宛て文書」についてという抗議の文書が送付されました。

From a cover of Arakawa-ku report
Jan. 1, 2000 issue
荒川区報2000年1月1日号表紙より
「守る会」は行政に対しても、富士見坂保全を働きかけてきました。

(荒川区関連)  すでに、1999年10月に、地元の日暮里の4町会は、荒川区に「日暮里の富士見坂からの眺望を守ることを東京都及び関係機関に働きかける陳情書」を提出していましたが、2000年2月14日に荒川区議会において採択され、区として正式に都や関係機関に富士見坂保全を働きかける活動が始まりました。また「守る会」は2000年3月2日に、荒川区助役を訪れ、陳情書採択を踏まえての区の支援をお願いしました。 上に述べた3月24日の日本鋼管不動産との話し合いには、都議・区議・都議代理等と共に、荒川区助役代理にも立ち会っていただきました。

2000年4月27日には、「守る会」が荒川区議会議長を訪れ、都・区を始め関係機関へ働きかけることを要請しました。これを受けて5月10日に、荒川区建設委員会の委員長・副委員長等が、 東京都、文京区、台東区を訪れて、それぞれ東京都知事、文京区長、台東区長宛の、荒川区議会議長名の富士見坂の眺望保全の要望書を提出して下さいました。 更に、文部大臣、建設大臣および環境庁長官宛に荒川区議会議長が同趣旨の要望書を送付して下さいました。

5月12日には、「守る会」が荒川区を訪れ、区長宛の公開質問状を提出しました。

Mt. Fuji silhouetted at sunset
Jan. 29, 2000
2000年1月29日の富士への日没

(文京区関連)  1999年12月21日に、研究者と住民が文京区長宛に眺望保全の要望書を提出しました。また、 2000年2月15日には「守る会」が、文京区議会議長、文京区長宛に陳情書を提出しました。 更に荒川区の所で述べたように、 2000年5月10日には、荒川区議会議長が文京区長宛の富士見坂の眺望保全の要望書を提出しました。
また現在、文京区にも空中権の買い取りを求める「公開質問状」を送付すべく準備をしています。

(台東区関連)  2000年4月14日には、「守る会」と台東区住民が、台東区長宛に陳情書を提出しました。 更に荒川区の所で述べたように、 2000年5月10日には、荒川区議会議長が台東区長宛の富士見坂の眺望保全の要望書を提出しました。

(東京都関連)  2000年2月27日には、要望書・資料を石原慎太郎東京都知事及び東京都宛に送付しました。 3月6日に、「守る会」が東京都の担当部署(都市計画局地域計画部公園緑地課)に事情説明を行うとともに、協力を要請しました。そして、2000年3月10日には、超党派の都議会議員3名とともに東京都の青山副知事を訪れ、都知事宛の要望書を提出するとともに、協力を要請しました。
更に荒川区の所で述べたように、3月24日の日本鋼管不動産との話し合いには、都議・都議代理の方々に立ち会っていただきました。また2000年5月10日には、荒川区議会議長が東京都知事宛の富士見坂の眺望保全の要望書を提出しました。
また現在、東京都にも空中権の買い取りを求める「公開質問状」を送付すべく準備をしています。

A banner "Want the NKK group to answer the social demand
and to save the Mt. Fuji-view from central Tokyo !!"
spreaded along the Fujimizaka slope
富士見坂の「NKKグループの社会的責任を問う 
東京の富士山を守って!!」の横断幕
「守る会」は、またNKK社長にも、話し合いをもつことを求め続けてきました。 2000年2月13日、3月13日、18日、21日、26日にはNKK社長への要望書を送りました。

また、3月14日、29日、4月6日、14日には、前日に申し入れの上、日本鋼管本社前で横断幕・チラシ配布によるアピールを行いました。先に述べた3月24日の日本鋼管不動産(株)の社長との話し合いも、この14日の日本鋼管本社前での活動によって、ようやくに実現したものでした。しかし、日本鋼管社長との面会は未だ実現していません。

すでに13階まで鉄骨が上がったとはいえ、まだ計画変更は可能です。鉄骨の様子から11階建てでも、かなりの所まで眺望が保たれると考え、より実現しやすい11階建てへの変更を求めていくことにしました。

On May 14, 2000 when the steel frame was completed up to 13 story
2000年5月14日に鉄骨全体が13階まで組み上がった直後
(中島尚史氏 撮影)
マンション建設が分かった後、現在に至るまで、途切れることなく続いているマスコミによる非常に多くの報道のおかげで、東京をはじめ広い地域で、今回の富士見坂の事態について多数の人々が知り、眺望がなくなってしまうことを悲しみ残念に思うところとなりました。
また、3月31日、4月19日には衆議院でも日暮里富士見坂問題が取り上げられました。

そうした状況を踏まえて、私たちも広く市民に対して募金活動を行うこと、 行政が空中権買い取りに応分の負担をすることを求める活動も「守る会」が行うことなども提案する中で、11階建てへの変更をNKKグループの中心の日本鋼管社長にお願いするため、 以下のような「公開質問状」、「これまでの経緯と「日暮里富士見坂を守る会」の見解」を4月26日に送付しました。
5月10日に日本鋼管(株)より、4月26日付けで「守る会」が出した「公開質問状」に対する総務部長名の回答書が送られてきましたが、不明な点が多いものでした。 そこで「守る会」は、5月12日に再度質問書を日本鋼管(株)に送付しました。

マンションは、2000年5月14日に鉄骨全体が組上がり、2000年11月20日に竣工しました。


ホーム
更新記録 会社の見解 行政の見解 「研究会」の研究 リンク集 会へのメール
眺望保全
経過報告 建物等のシミュレーション 新聞、テレビなどの報道 要望書など 記録写真 東京都景観審議会
の議事録
文京区景観審議会
の議事録
山頂への日没
(ダイヤモンド富士)
のシミュレーション
風景遺産
English page
Scenic heritage Before Edo period Edo period Meiji period The last several decades Toward 21st century