ハートフル富士見坂 富士山の眺望悪化を防ごう

 北斎や広重は江戸庶民の生業や遊山の情景を好んで描きましたが、遠景の多くは富士山です。富士山がないと落ち着かないとでもいうように。いや、落ち着かなかったのは絵を見る江戸庶民の方だったのかもしれません。江戸域の天守閣焼失後は富士山は唯一最大の江戸のランドマーク。江戸に暮らす人々にとって日々、安らぎの源でした。
 山手線内と周辺には富士見坂が十六か所あり、いまもそう呼ばれています。でも街の高層化ですっきりと見えるのは、諏方(すわ)神社前の日暮里富士見坂だけになってしまいました。坂上から富士山までは直線で一〇ニキロ。11月11、12日と1月30日前後には"ダイヤモンド富士"が目の当たりにできます。
 しかし、この坂からの富士も一昨年南側の山嶺の眺望が一部遮られ「東京から富士山が消えた!」と騒がれました。その後、中腹にかかっていたビルが撤去され、眺望はほんの少しだけ回復しました。
 ランドマーク全滅は時間の問題なのか。「これは一般のマンション反対とは別に考えるべき問題」として都市計画の研究者たちと荒川、台東、文京区、東京都の職員が富士見坂眺望研究会をつくり調査を続けています。坂から富士に引いた直線の下には偶然にも墓地、小石川植物園など公共施設が多くあり、不忍、本郷、白山の三通りのごく一部三か所の高度を抑えれば、悪化を食い止めることができる。それ以遠は高層化されても眺望には影響しないとか。
 盛岡城址の岩手公園からシンボル岩手山への眺望を遮る建築を盛岡市は要綱で規制しています。といってもいまはビルの谷間から岩手山がチラッと見えるだけ。遮っているビルの再建時には眺望がもっと広がるようにするためです。「盛岡でできて東京でできないというのは…」と都景観審議会でも議論が始まりました。

メトロニュースNo.301, 2002年2月号,帝都高速度交通営団発行


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